弁慶の足跡とは
源義経伝説では、義経は平泉を脱出して北方に逃れ、その時に義経主従が辿った道のりが「義経北行ルート」と呼ばれています。中でも、種山の姥石峠から赤羽峠までの気仙路はとりわけ苦難を極めたとされています。「弁慶の足跡」は、五葉川を渡ろうとした弁慶がつけたものと伝えられています。場所は上有住の葉山めがね橋付近で、「弁慶の足跡」は川岸の岩場に残り、つま先からかかとまで約1.5mの足跡の形をしています。この時義経が手をかけた松を「判官手掛けの松」といい、同じく橋のたもとに残っています。
Benkei no Ashiato(A Footprint of Benkei)
五葉川に残る伝説の「義経北行ルート」の見どころ
源義経伝説では、義経は平泉を脱出して北方に逃れ、その時に義経主従が辿った道のりが「義経北行ルート」と呼ばれています。中でも、種山の姥石峠から赤羽峠までの気仙路はとりわけ苦難を極めたとされています。「弁慶の足跡」は、五葉川を渡ろうとした弁慶がつけたものと伝えられています。場所は上有住の葉山めがね橋付近で、「弁慶の足跡」は川岸の岩場に残り、つま先からかかとまで約1.5mの足跡の形をしています。この時義経が手をかけた松を「判官手掛けの松」といい、同じく橋のたもとに残っています。