高田松原とは
高田松原は、かつて岩手県陸前高田市気仙町にあった松原で、白砂青松(はくしゃせいしょう)の景観として有名でした。江戸時代の寛文7年(1667年)、高田の豪商によって植栽され、仙台藩と住民の協力によって6,200本のクロマツが植えられたのが始まりで、その後、享保年間(1716年 - 1736年)に増林が行われ、以来、クロマツとアカマツからなる合計7万本もの松林は、仙台藩・岩手県を代表する防潮林となり、景勝の一つとして大勢の観光客を集めました。
明治29年(1896年)の明治三陸津波、昭和8年(1933年)の昭和三陸津波、(昭和35年(1960年)のチリ地震津波では防潮林として市街地への被害を防いできましたが、2011年(平成23年)3月11日の東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)では、10メートルを超える大津波に呑み込まれ、ほぼ全ての松がなぎ倒され壊滅しました。1本の松が倒れずに残り、この松は震災直後から復興のシンボルと捉えられ、「奇跡の一本松」などと通称されるようになりました。
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震災遺構・気仙中学校(1)
津波が気仙川の堤防を越えてからわずか数分で校舎3階に達しました。震災当時学校にいた生徒たちは、津波到達前に全員避難し無事でした。
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震災遺構・気仙中学校(2)
屋上に取り付けられた看板は、津波が到達した高さ14.2mを示しています。津波は鉄筋コンクリート3階建ての建物が屋上まで飲み込みました。
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震災遺構・旧道の駅
「道の駅高田松原 タピック45」は、国道45号沿いに4ヘクタールを超える敷地面積を誇る、東北随一の道の駅でした。津波の直撃を受け高さ13.7mに達しました。施設上部に登り難を逃れた方が3人いました。