五葉山

Mt. Goyouzan

気仙地域の信仰習俗の中心

  • 文化的景観

五葉山とは

霊峰・五葉山(1.351m)は、住田町・大船渡市・釜石市にまたがる三陸沿岸の最高峰で、住田の信仰の中心として知られます。山頂付近には山宮として五葉山神社(五葉権現)が、山麓にはいくつもの里宮が、五葉山の麓を囲む形に祀られています。

里宮には、住田町上有住の五葉山神社(八幡神社に合祀)、大船渡市立根町萱中の五葉山神社、日頃市町関谷の五葉山神社(五葉山日枝神社)、日頃市町鷹生の五葉山宇賀神社、盛町本町五葉山神社他二社、釜石市甲子町大松に五葉山神社があります。

由来

元禄11年(1698)に記された『気仙郡古記之写』によると、上有住にある五葉山神社の山宮・五葉権現は、山頂近くの八分目に山宮があったことや、当時五葉山は五葉嶽(ごようだけ)と呼ばれていたこと、大同年中(806~810年)に征夷大将軍・坂上田村麻呂が山宮を建てたという言い伝えが記されています。

鉄砲火縄の生産地

霊峰・五葉山は藩政時代、仙台藩直轄の「御用山」として手厚い保護下にあり、この山から産出される桧の皮は当時の鉄砲にはなくてはならない火縄の原料となっていました。

五葉山は、宝暦11年(1761年)に著された『気仙風土草』に「桧山」と記されているのは、山に桧が多かったためとされます。また、桧の木羽(こば)が大量に生産され、遥か仙台まで船で運ばれていたことが分かります。

江戸時代、この地域は国内最大の鉄砲火縄の生産地であり、当時藩に献上された火縄は、年間1万4千尋(1ひろ=1.5m)にも達し、この献上が100年間も続けられていたようです。徳川三代を震撼させた巨大鉄砲藩仙台藩祖・伊達政宗の国力を誇示した一万丁の火縄銃を支えたのがこの桧山だったと東海新報社刊行の『気仙辺辺四季』(「火縄の里」)には記述されています。

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